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生化夜話 第24回:「抗体」という言葉を考えたのは誰?

メンタイとカンブツ・・・

今日の生物学のさまざまな場面で、抗体が大活躍しています。

抗体研究のスタート地点としては、北里柴三郎とエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが破傷風菌の抗毒素を発見した、1890年の業績がたいへん有名です。しかし、論文をよく見ると、抗体どころか、抗毒素という言葉も1890年の論文には出てこないのだそうです。

ドイツ語で防腐剤を意味するantiseptischのもじりで、antitoxischという言葉をでっち上げたものの、毒素に対抗する性質を示す形容詞としての用法に終始し、物質としてはあつかっていません。

では抗体という言葉を考案したのはどこの誰でしょう?

毒素に対抗する何か→何かに対抗するもの

先程出てきたantitoxischという形容詞を転じて抗毒素(antitoxin)という名詞にしたのは、イタリアのティッツォーニとカッターニで、1891年の論文で血清から沈殿させて分離した成分を抗毒素と命名し、物質としての正体はグロブリンであると結論しています。

同じ1891年、後に近代免疫学・化学療法の基礎を確立することになるパウル・エールリヒが、免疫に関する実験の結果を報告しています。その実験は、植物由来の毒素であるリシンとアブリンに対する抗毒素を作らせるものでした。その議論の中に

Es wäre wohl kaum denkbar, einen schlagenderen Beweis dafür zu erbringen, dass Antiabrin und Antiricin zu einander keinerlei Beziehungen haben. Es folgt aber auch hieraus, dass auch die sonst so ähulichen Ausgangsstoffe, welche die Bildung zweier verschiedener Antikörper bedingen, selbst durchaus verschieden sind.(本文中太字筆者)

Ehrlich P., Experimentelle Untersuchungen über Immunität (1891)

という部分があります。星占いより精度の高い筆者のドイツ語翻訳能力(筆者の第二外国語はフランス語)を駆使したところでは、

「Anti-ricinとAnti-abrinは互いにほとんど関係がないということは驚くべきことである。前駆体は似ているにしても、できあがる抗体が異なるのであれば、リシンとアブリンは相当に異なるのだろう」

ということを言いたいようです。ここでAntikörper(=英語ではantibody)が出てきます。世界で初めて論文に抗体という言葉が出現した瞬間です。しかし、エールリヒの研究は元々抗毒素の話でしたので、Antitoxinで間に合っており、Antikörperは忘れられてゆきました。

ちなみに、Antitoxin、Antikörper以外にも、毒素や感染に対抗する物質の名称はいろいろ提案されており、Immunekörper(ドイツ語、免疫体)、substance sensibilisatrice(フランス語、感作性物質)などがありました。

よく考えてみると、antibodyは不思議な名詞です。antitoxinなら「毒素に対抗する何か」です。一方antibodyは似たような形をしていますが、「何かに対抗するもの」くらいの意味です。意味だけ考えればimmune body(Immunekörper)の方がすっきり通る気がします。

コッホの呼び声

これまでの登場人物のうち3名、北里、ベーリング、エールリヒにはある共通点があります。この時期、3人ともコッホの衛生研究所で研究していたのです。コッホは、新設の衛生研究所のスタートアップのために、優秀な若手研究者を集めました。彼らはその一部というわけです。

同様にコッホが集めた若手の中に、リヒャルト・プファイファーという元軍医がいました。このプファイファーがAntikörperという言葉の考案者のようです。彼は、微生物感染と免疫の関係を研究していました。

後に、プファイファーはインフルエンザ菌(Haemophilus influenzae)を発見しました。プファイファーが血清に含まれる抗菌物質の作用を定量する方法を考案し、非特異的な抵抗と特異的免疫の区別ができるようになったそうです。また、コレラと腸チフスの予防接種も考案したそうです。

そんなプファイファーは、この時期エンドトキシンを研究していました。モルモットの腹膜を塩水、培養液、細菌由来のさまざまな物質で刺激したところ、細菌由来の物質で刺激したモルモットは、細菌感染に抵抗できるようになることに気付きました。ただし、感染からの防御は一過性のもので、宿主が完全に別物に変化してしまったわけではなさそうでした。

さらに、コレラ菌やチフス菌に感染させると、それらの菌にだけ効果のある物質が血清中にできていることを見つけました。プファイファーは、この菌に対抗する何だか正体が分からないものを、抗体と名付けたのでした。この時点では、プファイファーは抗体がタンパク質であるとか、白血球が生産しているとかは全く想像もしていませんでした。

それから、プファイファーは抗体の性質を研究し、抗体は細菌の刺激に応じて宿主が作るようになった物質で、性質はベーリングと北里の抗毒素によく似ていることを発見しました。さらに、in vivoでは溶菌を引き起こすものの、in vitroでは溶菌が起こらず、宿主が作る何かが足りないと結論しています。この「足りない何か」を「補うもの」は、後にエールリヒが構築した免疫系に関する理論の中でKomplement(英語ではComplement、日本語では補体)と名付けられることになります。

英語の壁を越えて

さて、こうして抗体(Antikörper)という言葉が生まれたわけですが、単純に言葉のつくりや意味だけ見るともっとスジの良さそうなImmunekörperやsubstance sensibilisatriceという同期生を差し置いて生き残った理由はよく分かりません。スイスの研究者リンデンマンは英語にした際の言いやすさ、書きやすさが決め手だったのではないかと推測しています。

言われてみれば、antibodyはimmune bodyやsensitized substanceよりも良さそうです。

まあ、省略語創造の才に長けた日本人にはあまり関係のないポイントかもしれません。免疫体なら、語呂の良い4文字でメンタイ、感作性物質もカンブツくらいになっていたのではないでしょうか。そして「このメンタイいいね」「あのカンブツはちゃんとできてるかなあ」といったご飯の欲しくなる会話が、生物学の研究室で飛び交ったかもしれません。

参考文献

  • Ehrlich P., Experimentelle Untersuchungen über Immunität. II. Ueber Abrin, Deutsche medizinische Wochenschrift, vol. 17, 1218-1219 (1891)
  • Dale H., Paul Ehrlich, British Medical Journal, vol. 1, no. 4863, 659-663 (1954)
  • RICHARD PFEIFFER, The Lancet, vol. 269, no. 6961, 205 (1957)
  • Lindenmann J., Origin of the terms 'Antibody' and 'Antigen', Scandinavian Journal of Immunology, vol. 19, no. 4, 281-285 (1984)
  • Turk J. L., Paul Ehrlich - the dawn of immunology, Journal of the Royal Society of Medicine, vol. 87, no. 6, 314-315 (1994)
  • Kasten F. H., Paul Ehrlich: Pathfinder in Cell Biology, 1. Chronicle™ of His Life and Accomplishments in Immunology, Cancer Research, and Chemotherapy, Biotechnic and Histochemistry, vol. 71. no. 1, 2-37 (1996)
  • Prüll C.-R., Part of a scientific master plan? Paul Ehrlich and the origins of his receptor concept, Medical History, vol. 47, no. 3, 332-356 (2003)
  • Rietschel E. T. and Cavaillon J.-M., Richard Pfeiffer and Alexandre Besredka: creators of the concept of endotoxin and anti-endotoxin, Microbes and Infection, vol. 5, no. 15, 1407-1414 (2003)
  • von Graevenitz A., Richard Pfeiffer 1858-1945, Infection, vol. 36, no. 4, 392-393 (2008)

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