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バイオダイレクトメール vol.69 細胞夜話
<第30回:時間があれば捨てていました - Drosophila melanogaster K株>

捨てなくて良かったなあ。。。

Drosophila melanogasterD. melanogaster)は、ゲノムサイズが小さく染色体も少ないといった研究面での利点や、小型で繁殖しやすく、特殊な餌や環境が不要であるといった研究運営上の利点から、今日ではさまざまな研究分野で欠かせないモデル生物となっています。

D. melanogasterを使った研究のはじまり

生物学の研究者たちがD. melanogasterの有用性に気付いたのはたいへん早く、20世紀初頭には研究材料として使い始めています(例えば、染色体説を実証したことで後にノーベル賞を受賞することになるトーマス・ハント・モーガンは1909年にD. melanogasterを使った研究を開始しました)。また、D. melanogasterを含む双翅目から得られるデータは昆虫特有の問題だけでなく、生物学一般の発展に重要であることも明らかでした。

しかし、D. melanogasterを生物学の研究に自在に駆使するには、超えなければならない大きな壁がありました。それは安定した細胞株の樹立でした。その当時の培養に関する知識や技術では、D. melanogasterの細胞を長期間培養することはできなかったのです。

1960年代、フランスのギュイ・エシャリエールがD. melanogasterの細胞培養の研究を始めた際に、関連した論文を100報調べましたが、それまでの研究報告では細胞を生かしておくことができた期間は数日、長くてもせいぜい数週間というところでした。もっとも、それまでの研究で培養実験がうまくいっていなかったのも当然で、培養した昆虫細胞で安定した分裂が観察できるようになったのがようやく1930年代、トレージャー、ワイアットなどの試行錯誤を経て、オーストラリアのグレースが世界で最初の安定した昆虫細胞株を樹立して報告したのが1962年でした(参考:第14回:昆虫細胞用培地の開発)。遺伝学や発生生理学の研究の一部では短期間の培養でも十分だったようですが、大腸菌やすでに安定した細胞株として定着していたHeLaなどに比べると、D. melanogasterの細胞を利用した研究の自由度が低いのは明白です。

最初のD. melanogaster細胞株

最初にD. melanogasterの安定した細胞株を樹立したのはソビエト連邦のカクパコフでした。C15という独自の培地にFBS(ウシ胎児血清)とDrosophilaの蛹の抽出物を加えたものを使用して胚の細胞を培養し、67j25Dという細胞株を樹立しました。

1981年に出版されたイギリスのサングによる概説記事の執筆に協力していることから、カクパコフ自身は政治とは無関係にD. melanogasterの細胞株を用いた研究の発展を望んでいたのではないかと思われます。しかし、67j25Dは言語や政治状況による壁とは無縁ではいられなかったようです。

カクパコフの論文が英語主体の西側の研究者にはハードルの高いロシア語の雑誌に掲載されていたことや、遺伝学が発生学と融合しその研究の材料としてD. melanogasterが盛んに使われた1980年代に、1979年末のソ連軍によるアフガニスタン侵攻によって東西冷戦が再び激化していたことなどを考えると、当時の西側の研究者にとっては、67j25Dのすぐ後に西側の研究者によって樹立された細胞株のほうが、手を出しやすかったであろうことは想像に難くありません。

エシャリエールの培養実験とK株

エシャリエールもD. melanogasterの細胞培養について研究しており、1965年には初代培養細胞の培養である程度期待のもてる報告を出しています。彼はその際の培養法を改良し、安定した細胞株の樹立を試みました。

細胞培養初期にさまざまな工夫をした他の研究者と同様に、エシャリエールも培地の組成をたいへん熱心に研究しています。彼が研究に取組んだ時期に詳細に組成が報告されていたのは三齢幼虫の血リンパだけだったので、基本的にはこれを模倣した組成の培地を作りました。さまざまな検討の結果、エシャリエールもグレース同様に浸透圧の管理が非常に重要であるとの結論に達しています。また、培地に加えるアミノ酸として酵素で加水分解したラクトアルブミンを使用していますが、エシャリエールの検討では、特定のメーカーのラクトアルブミンだけがD. melanogasterの細胞培養に適しており、他のメーカーの製品ではうまくいかなかったそうです(他のメーカーのラクトアルブミンの品質が悪かったのか、逆にうまくいった製品に都合の良い不純物が含まれていたのかはわかりませんが)。

エシャリエールは、1968年に5ヶ月間根気よく培養を続けて、安定した細胞株の樹立に成功しました。その過程は、(1)最初は順調に細胞が増える、(2)細胞が増殖しなくなる、(3)ある時期を境に無限に増殖を続ける細胞が出現する、という細胞株の樹立によく見られる経過を取りましたが、この経過についてエシャリエールが面白いコメントを残しています。

増殖が止まっている時期の培養液はどんよりとした活気のない状態だったので、もしもそのような状態になっている培養液をよく見る時間があったなら、そんな培養液は捨ててしまっていたでしょう。

1970年の論文で、わざわざ忍耐強く取組むことの重要性を指摘しているのは、そんな自分の経験から来ているのかもしれません。

ちなみに、細胞株樹立を報告する最初の論文は、エシャリエールもカクパコフ同様に母国語(フランス語)で書いていますが、その翌年にはIn Vitro誌に英語の論文を発表しています。

サングによると、1974年のD. melanogasterの唾液腺を用いた実験に端を発したヒートショックタンパク質の研究では、K株から派生したKcやKcoがよく用いられ、また、昆虫のホルモンの研究でもKcやその変異株が広く使われたようです。

  1. Thomas H. Morgan - Biography(Nobelprize.org)
  2. Echalier G. and Ohanessian A., In vitro culture of Drosophila melanogaster embryonic cells. In Vitro, vol. 6, no. 3, 162-172 (1970)
  3. Sang J. H., Drosophila cells and cell lines. Advances in cell culture, vol. 1, 125-182 (1981)
  4. Schlesinger M. J., Heat Shock Proteins. The Journal of Biological Chemistry, vol. 256, no. 21, 12111-12114 (1990)
  5. Echalier G., Citation Classic, Current Contents, 8, p16 (1989)

細胞夜話作者の余談

  • エシャリエールは培地や細胞株のネーミングにはあまり興味が無かったようです。
    いろいろと苦労と工夫を重ねて作った培地の名前はD20。DrosophilaのDと試作した一連の培地につけていた連番の20だそうです。
    樹立したK株についても、1970年の論文にC株も記載されていることから、培養を試みた細胞に順番にアルファベットを割り当てていったに違いありません。
    K株やC株か派生した株についてもKa、Kb、Kc、Caといった命名が行われており、こちらも簡潔を極めています。
    もっとも、このようなシンプルな命名ができたのは、他に混同されるような細胞がない先駆者ならではの余裕とも言えるかもしれません。

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