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生化夜話 第47回 美しすぎる相関性が生んだ思い込み - 乳酸と筋肉疲労

原因と結果・・・

まずは、ちょっとした頭の体操です。

  • 観察された事実1:多量の物質Xが存在する場合、症状Yは重度である
  • 観察された事実2:少量の物質Xしか存在しない場合、症状Yは軽度である
  • 導かれる結論:Xを減らすことで症状Yを軽減することができる

さて、この結論は正しいでしょうか?

正しいかもしれませんし、間違っているかもしれませんね。物質Xが症状Yの原因である可能性もありますが、それとは逆に症状Yの結果として生成されたのが物質Xである可能性もありますし、全く別の原因Zがあって、XとYはともにその結果かもしれないのです。

全貌が明らかになっていない系について、得られた相関性だけで解釈してしまうと、間違った結論に達してしまうことがあります。

しかし、それでも現象に因果関係を見出そうとするのは、考える生き物としての人間の性でしょうか。明瞭な相関関係がある場合、特に陥りがちかもしれません。

最近ではあまり言われなくなりましたが、筋肉にたまった乳酸が筋肉疲労の原因物質であるとする説も、多数のデータに裏付けられた見事な相関関係の産物でした。

生化夜話は主に生化学の技術やツールの研究を扱っていますが、今回は趣向を変えて乳酸悪者説の成立と拡散について振り返ってみたいと思います。

案外古いその起源

乳酸の発見者はスウェーデンのカール・ヴィルヘルム・シェーレです。薬学、化学で多くの発見をしましたが、論文刊行の遅れから酸素や窒素の発見を逃した残念な研究者としても知られています。シェーレは1780年に酸っぱくなった牛乳の乳清から新しい種類の酸を単離しました。彼は、新しい酸をMjölksyra(ミルクの酸)と命名しました。

運動と乳酸の関係に最初に言及したのは同じくスウェーデン人で、化学の大家イェンス・ヤコブ・ベルツェリウスのようです。ベルツェリウスは、狩猟で捕獲されたアカシカの筋肉に乳酸があることを19世紀初頭に発見しました。

乳酸と筋肉の疲労の関係が大きく取り上げられるようになるのは、それから約100年が過ぎた20世紀はじめのことでした。

筋肉を連続して収縮させると、力が落ちてきます。つまり疲労です。1907年、ケンブリッジ大学のウォルター・モリー・フレッチャーとフレデリック・ガウランド・ホプキンズが、乳酸と筋肉の疲労に関する重要な研究成果を発表しました。彼らは、細胞がどのようにエネルギーを得ているのかを研究しており、その一環として筋肉の疲労や回復にも関心をもっていました。60ページを超える長い論文で、嫌気的条件下で電気刺激によって動かした両生類の筋肉に、乳酸が蓄積することを示しました。運動に伴って乳酸が蓄積することを実験的に示したのは、この研究が最初のようです。

それまでの彼らの研究で、酸素を吸うと疲労が回復する、運動をしても疲労するのが遅くなることや、酸素呼吸することで筋肉に含まれる乳酸がなくなることなどを明らかにしていました。こうした既知の現象も考え合わせ、筋肉の疲労には乳酸が関わっているのではないかと推測しました。

ケンブリッジ大学でフレッチャーとホプキンズが指導した学生の一人に、アーチボルド・ヴィヴィアン・ヒルという青年がいました。ヒルも筋肉を材料にした代謝の研究を行い、師であるホプキンズよりも早い1922年に、筋肉で発生する熱の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞しました(ホプキンズは、ビタミンの発見で1929年にノーベル生理学・医学賞を受賞)。

第一次世界大戦でオペレーションズリサーチのチームを率いるなどした後、最終的にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに職を得たヒルは、カエルの筋肉や血漿を使って乳酸を測定し、1929年に疲労の原因は乳酸であるとの仮説を提唱しました。

美しすぎる相関性の罠

その後も、疲労したカエル筋肉のエンドポイント解析や運動で消耗させたヒトの血液の解析で、乳酸が増加していることが示されるなど、疲労と乳酸の関係を示すデータが多くの研究者から示されました。

さらに時代が下って、1960年代から70年代にかけて、バイオプシーやNMRによって、運動する筋肉の中で何が起きているかの研究が進み、乳酸生成の過程が明らかになりました。

ノーベル生理学・医学賞も受賞した筋肉研究の大家ヒルが提唱し、その後に得られた数多くのデータで作り上げられた乳酸悪者説は、大雑把にまとめると次のようなロジックでした。

  1. 運動してATPを消費すると、それを補うためにホスホクレアチンからATPがつくられます。ホスホクレアチンも少なくなると、今度は解糖系でピルビン酸とATPがつくられます。
  2. 激しい運動を行うには、そのエネルギーを賄う大量のATPが必要になり、解糖系の反応が活発に行われます。しかし、ミトコンドリアはすべてのピルビン酸を処理できず、ピルビン酸が余ります。そのピルビン酸が乳酸に変換されます。
  3. 筋肉に乳酸が溜まると(乳酸はほとんど解離しているので)H+が大量にでき、それが筋肉のアシドーシスを引き起こし、これが疲労による悪影響、つまり筋肉の収縮を妨害する原因であるとされました。

(乳酸やH+の生成については、他の説も提唱されました。ピルビン酸から乳酸ができる過程ではH+は生成されず、H+はATPの加水分解でできたものではないかとする説や、乳酸が強いアニオンなので、そのために水が解離してH+ができているとする説もありました)

1976年、ワシントン大学のロバート・フィッツとジョン・ホロジーは、カエルの筋肉を使って、筋肉の収縮の強さと乳酸の量の継時的な変化を調べました。彼らは、疲労による収縮力の低下と、乳酸の蓄積に、強い直線関係があることを示しました。

フィッツとホロジーの論文にあるグラフは、運動をはじめるとホスホクレアチンが急速に減少する一方で、ATPの濃度はほぼ一定に維持され、筋肉の収縮力と乳酸の量はきれいに反比例するという、乳酸悪者説のロジックをそのまま視覚化したかのような見事なもので、筆者も思わず手をたたきたくなる美しいデータでした。

フィッツとホロジーが提出したデータの見事さに感銘を受けた研究者は多かったのか、彼らの結果は、刺激の方法や材料を変えた多くの追試で確かめられました。

乳酸・H+の蓄積と力の低下はトレーニング後に遅れて生じることもかわって、乳酸悪者説はさらに補強されました。

しかし、ここまでの研究で示されているのは、代謝によって乳酸ができる反応系であったり、筋肉の収縮が低下するのと乳酸の量が比例していることを示すものであったりと、疲労が乳酸によるものであるという因果関係を直接示したものではありませんでした。

さらに、この時期に行われた他の研究でも、筋肉の収縮低下と、ATPの減少や無機リン酸の増加、ADPの増加、ホスホクレアチンの減少といった変化の相関も観察されていました。しかしどういうわけか、疲労の原因は乳酸という結論になっていました。虚心坦懐に事実に向き合うことができていれば、この時点で本当に乳酸が原因なのかと引っ掛かりぐらいは感じたはずなのですが。

筋肉疲労は乳酸が原因であるとする説は研究現場で提唱されてきましたが、それが広く一般に信じられるようになったのは、1冊の書籍の影響が大きかったようです。ニュージーランドのアーサー・リディアードは、たいへん有名な長距離走コーチで、優秀な選手を数多く育てました。例えば、彼の指導を受けたピーター・スネルは東京オリンピックの男子800 mと1500 mで金メダルを獲得しました。そのリディアードが1983年に出版した書籍の中で、乳酸は運動選手のパフォーマンスにも、健康にも悪いと説明したのです。スポーツ科学や競技指導者の間では乳酸悪者説が定説になったのは、リディアードの書籍が少なからず影響していました。

定説の壁を越えて

いかにも乳酸が筋肉疲労の主因であるかのように見える(しかし、実際には因果関係を証明してはいない)多数のデータに支えられて盤石に見えた乳酸悪者説ですが、早い時期から疑問を感じている研究者もいました。代謝アシドーシスによる虚血性障害を研究していた研究者たちは、1960年代には乳酸が原因という話はおかしいと言い出していました。しかし、彼らの主張は、乳酸が原因であると信じ込んでいた多くの研究者には受け入れられませんでした。

それでも、1990年代から乳酸の蓄積やアシドーシスはあまり影響しないという知見が増加し、2000年代に入ってから悪さをしているのは乳酸ではなく筋細胞外のK+であることが示されました。さらに、乳酸を加えるとカリウムイオンの悪影響を緩和できることまでわかりました。

こうして、乳酸の立場は一転し、疲労の原因ではなく結果であり、むしろ回復の役に立っているのではないか、と考えられるようになりました。

最近では、トレーニングを指南するWebサイトでも、疲れを緩和する物質として紹介されるようになってきました(いまだに乳酸悪者説を掲げるところもありますが)。

そしてその教訓は、と公爵夫人の向こうを張るつもりはありませんが、先入観をもってあつかうと同じデータでも異なる結論に到達し得るから要注意、系の全体を見て観察された結果の意味を考えることが重要、といったところでしょうか。

(公爵夫人:不思議の国のアリスの登場人物、目にするあらゆるものから教訓を引き出そうとします)

参考文献

  • Fletcher W. M. and Hopkins F. G., Lactic acid in amphibian muscle, Journal of Physiology, vol. 35, no. 4, 247-309 (1907)
  • Fitts R. H. and Holloszy J. O., Lactate and contractile force in frog muscle during development of fatigue and recovery, vol. 231, no. 2, 430-433 (1976)
  • Robergs R. A., Ghiasvand F. and Parker D., Biochemistry of exercise-induced metabolic acidosis, American journal of physiology. Regulatory, integrative and comparative physiology, vol. 287, 502-516 (2004)
  • Cairns S. P., Lactic Acid and Exercise Performance: Culprit or Friend?, Sports Medicine, vol. 36, no. 4, 279-291 (2006)
  • Frank Vincenzo de Paoli, Kristian Overgaard, Thomas Holm Pedersen and Ole Bakgaard Nielsen, Additive protective effects of the addition of lactic acid and adrenaline on excitability and force in isolated rat skeletal muscle depressed by elevated extracellular K+, Journal of Physiology, vol. 581, 829-839 (2007)
  • Gladden L. B., 200th Anniversary of Lactate Research in Muscle, Exercise and Sport Sciences Reviews, vol. 36, no. 3, 109-115 (2008)
  • Archibald V. Hill - Biography
  • Sir Frederick Hopkins - Biography

 


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乳酸のお話から得られる教訓は、反応の結果や一部分だけみていると誤った解釈につながることがあるので、系全体からその反応の意味を考えることが重要です。たとえば生体内での反応の場合には、物理化学的な現象に着目し、相互作用の速さや種類を解析することが有用です。


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