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帯広畜産大学 浦島匡先生
探日録 第3回:ミルク成分も進化します 《前編》

ラクトースを含まないミルクがある?

哺乳類の赤ちゃんにとってお母さんのミルクこそ命のみなもとです。ミルクはたんぱく質、脂肪、糖の三大栄養素の濃厚溶液で、まだ歯が生える前で、吸うことしかできない赤ちゃんにとっての全能の栄養源。このミルクに含まれる糖がラクトース(乳糖)だということは、読者の皆さんにとっては常識でしょう。ところがいろいろな哺乳類を調べてみると、この常識は通用しません。じつはラクトースをほとんど含まないミルクで子供を育てる哺乳類がたくさんいるのです。

多くの哺乳類のミルクは、ラクトースとともにミルクオリゴ糖というもっと複雑な糖を含んでいます。ミルクオリゴ糖は還元末端側にラクトース構造を含み、その非還元末端側にいろいろな単糖(N-アセチルグルコサミン、ガラクトース、フコース、シアル酸など)が連結して、ラクトースよりも大きな分子量をもっています。

ミルクオリゴ糖は単一な成分ではなくて、複雑な混合物です。たとえば、ヒトのミルクには100種類以上が含まれています。世界中で多くの研究者がミルクオリゴ糖の研究をしていますが、どうしてでしょうか。
ラクトースと違ってミルクオリゴ糖は、赤ちゃんの小腸で消化・吸収はされず、赤ちゃんの栄養にはなりません。

多くの研究者は、消化・吸収されないミルクオリゴ糖が赤ちゃんの大腸で善玉菌を育てたり、下痢を引き起こすような病原菌が消化管表面の糖鎖にくっつくのを防いだり、アレルギーを予防したりすると考えています。ヒトでは糖の中でラクトースが80%、ミルクオリゴ糖が20%を占めていますが、赤ちゃん用の粉ミルクの原料になる牛乳にはミルクオリゴ糖がほとんど含まれていないので、小児科のお医者さんや粉ミルクを作っているメーカーの研究者は、ヒトのミルクオリゴ糖に働きの近いものを粉ミルクに入れようと、日夜努力しています。

地球上には4000種もの哺乳類が棲息していますが、不思議なものでミルクの中にはラクトースよりも複雑な、ミルクオリゴ糖を多く含む動物がいます。オーストラリアに棲息する原始的な哺乳類で、卵で赤ちゃんを孵化させるカモノハシ、ハリモグラ(単孔類)。非常に小さな赤ちゃんを産んだ後にお母さんの袋の中で育てるカンガルー、コアラ、ワラビーなど(有袋類)です。哺乳類はこのような単孔類、有袋類と、子宮の中で胎児を育ててある程度大きくなってから赤ちゃんを産む有胎盤類(真獣類)に分けられています。

ワラビーやカモノハシ、ハリモグラのミルクにどんな糖が含まれているかといった研究が、シドニー大学のMichael Messer先生によってされていました。これらの動物は、現存する多くの哺乳類(真獣類)とは違う進化をとげた、ちょっと風変わりな動物です。しかし、そのような風変わりなミルクは単孔類や有袋類ばかりではありませんでした。

私が1970年代後半に大学院の講義の中で輪読した論文の中で、クマ(真獣類)のミルクにはラクトースはほとんど含まれず、ペーパークロマトグラフィーで分析するとラクトースよりも移動距離の小さな糖の方が優勢であるとの一節がありました。ならば、クマのミルクの中にはどんな糖が含まれているのだろう。また、カモノハシやワラビー、そして、クマのミルクの中の不思議な現象はどうしてなのだろう。と疑問に思ったことが、私がミルクオリゴ糖の研究に魅せられたきっかけでした。私は小児科のお医者さんたちとはちょっと違った動機からミルクオリゴ糖研究をスタートさせたのでした。

クマのミルクは風変わりでした

私は1991年に10ヶ月間シドニー大学のMichael Messer先生のところに留学しました。
その後、1995年にMesser先生が来日し、ふたりでのぼりべつクマ牧場を訪れました。そこで飼育しているヒグマのミルクをもらえないだろうかということになり、獣医さんや飼育係のかたに聞いてみました。すると、生まれた子熊を母熊から引き離す際には麻酔銃で眠らせるのだそうです。その時ならば、眠っている母熊からミルクをしぼることができるということでした。私たちは大喜びでそれをお願いし、オリゴ糖を分離・分析して研究論文を出すことができました。

その後のある日、知らないノルウェーの人から手紙が来ました。私たちのヒグマのミルクオリゴ糖の論文はたいへん面白かった。自分はノルウェー北方の北極圏の島スバールバル島でホッキョクグマのミルクを採集した。それを送るので、オリゴ糖の分析をしてほしいということでした。地上最強の肉食動物であるホッキョクグマの体内には、人間の生産活動によって発生した、PCBなどの環境汚染物質が食物連鎖によって蓄積します。かれらがどうしてホッキョクグマのミルクを集めていたかというと、ホッキョクグマのミルクや血液や皮下脂肪を採集して汚染物質の量を測定していたのでした。それは地球環境保存のための大変に重要な研究です。予想もしなかった幸運のおかげで、私はおこぼれにあずかることができました。
また、後に秋田県のまたぎの里クマ牧場で飼育しているツキノワグマのミルクもいただくことができ、クマのミルクの研究はさらに広がっていきました。
それらのクマのミルクの糖を研究してみると、論文に書かれていたとおりラクトースは少量で、ミルクオリゴ糖の方が圧倒的に量の多いことがわかりました。

図1
図1. 2頭のホッキョクグマの乳から分離した糖のサイズ排除クロマトグラム。回収した各画分はヘキソース(白)とシアル酸(黒)に対して発色させた。ラクトースのピーク(PBA-7とPBB-7)よりも前のミルクオリゴ糖のピーク(PBA-1~PBA-6、PBB-1~PBB-6)の方が面積は大きい

クマのミルクにヒトの血液型のオリゴ糖が?

また、ミルクオリゴ糖の構造を研究していると、目から鱗が何度も落ちました。その一つがクマのミルクオリゴ糖のいくつかにヒトのABO式血液型に相当するような構造が含まれていることでした(1,2,3)
ヒトの血液型は、赤血球の細胞膜に生えている糖タンパク質や糖脂質の糖質部分の非還元末端側で、1残基だけが違うことによってA型、B型、O型の違いがでてきます。ヒトでは赤血球膜上にそのような血液型物質が発現しますが、ヒトのミルクオリゴ糖にはそのような構造をもつ物質はほとんど含まれていません。
しかもクマの種類により、A型(ホッキョクグマ)、B型(ツキノワグマ、ホッキョクグマ)、O型(エゾヒグマ)というように、オリゴ糖の存在パターンが違うことまでわかりました。

動物の種類によってA型やB型が発現する場所が血液であったり、ミルクであったりというのは、とても不思議なことですね。
また、クマのミルクには不思議なことに、仮にブタなどの臓器をヒトに移植したとしたら、急性の拒絶反応を起こしてしまうα-Galエピトープという構造単位を含むオリゴ糖も共通して存在していました。
A型やB型などの血液型糖鎖を含むミルクオリゴ糖は、その後クマだけでなくミンククジラ(A)、スカンク(A)、ライオン(A)、ヒョウ(A)、ボノボ(A)、ハイエナ(B)、ゴリラ(B)、タスマニアハリモグラ(B)の乳にも発見されました。
A型, B型などのオリゴ糖単位は、ヒトなどでは赤血球膜に、クマや上記のような哺乳類ではミルクオリゴ糖に発現します。なぜミルクオリゴ糖にABO式血液型糖鎖が含まれるのでしょうか。
私はこのような糖鎖を発現している消化管表面の細胞にくっつく病原性のウィルスや細菌を阻止する役割をしていると考えています。

私はミルクから抽出したラクトースとミルクオリゴ糖を含む画分を、サイズ排除クロマトグラフィーやイオン交換クロマトグラフィー、高速液体クロマトグラフィーなどという方法によって分離・精製し、主にプロトン核磁気共鳴スペクトルや質量分析という機器分析方法を使用して構造を決定しています。
また、A型やB型などが含まれているかどうかは、プロトン核磁気共鳴スペクトルでえられた図形の中に、特徴的なシグナルの位置(化学シフトといいます)と形を読み取ることで判断しています。
多くの哺乳類のミルクオリゴ糖を研究していると、見たこともないようなプロトン核磁気共鳴スペクトルの化学シフトの位置を観察できることがあります。
哺乳類の種によってミルクオリゴ糖に硫酸基やリン酸基が結合したものが含まれる場合がありますが、その特徴的な化学シフトの位置と形を読み取ることによって、例えばイヌ、アカゲザル、アカカンガルーに硫酸基を含むミルクオリゴ糖が含まれることも発見することができました(4,5)

図2
図2. ホッキョクグマミルクオリゴ糖の構造式
ヒト血液型A型、B型に相当する糖鎖やヒトでは失われたα-Galエピトーブが含まれている

ミルク糖を変化させたのは誰の仕業なのだろう

ラクトースは哺乳類の泌乳期乳腺細胞の中でラクトース合成酵素(ラクトースシンターゼ)の働きによって、グルコースを受容体(アクセプター)、UDP-ガラクトースを供与体(ドナー)として合成されます。
ところが、ラクトースを作るのが本来の仕事だという酵素はありません。ラクトースシンターゼは、実のところβ4ガラクトシルトランスフェラーゼⅠという酵素とα-ラクトアルブミンという乳タンパク質の一種によって構成された会合体です。
β4ガラクトシルトランスフェラーゼⅠは乳腺以外の体組織でも働いていて、本来は糖タンパク質や糖脂質の非還元末端のN-アセチルグルコサミンに対してガラクトースを転移し、N-アセチルラクトサミンというオリゴ糖単位を合成する重要な酵素です。
α-ラクトアルブミンは乳腺に特異的に発現し、β4ガラクトシルトランスフェラーゼⅠに結合して、この酵素のアクセプター特性を変更して、グルコースをアクセプターとして使えるようにします。

乳腺の中ではこうして作られたラクトースに対して、さらにいろいろな単糖転移酵素が作用してミルクオリゴ糖が作られます。したがって、乳腺ではまずラクトースが作られ、それが土台になって、いろいろなミルクオリゴ糖が出来るのです。
ミルク中のラクトースやオリゴ糖鎖をつくるのに欠かせないαラクトアルブミンは哺乳類に特有なたんぱく質ですが、一次構造や立体構造を調べた結果、哺乳類以前の脊椎動物が持つあるたんぱく質から進化したことが分かりました。それがどんなたんぱく質だったのか、そこからの進化にどのような意味があったのかなど、次回にお話したいと思います。

 

参考文献

  1. Urashima, T., Kusaka, Y., Nakamura, T., Saito, T., N. Maeda, N and M. Messer, M, (1997) Chemical characterization of milk oligosaccharides of the brown bear, Ursus arctos yesoensis. Biochim. Biophys. Acta, 1334, 247-255.
  2. Urashima, T., Sumiyoshi, W., Nakamura, T., Arai, I., Saito, T., Komatsu, T. and Tsubota, T. (1999) Chemical characterization of milk oligosaccharides of the Japanese black bear, Ursus thibetanus japonicus. Biochim. Biophys. Acta 1472, 290-306.
  3. Urashima, T., Yamashita, T., Nakamura, T., Arai, I., Saito, T., Derocher, A.E. and O. Wiig, O. (2000) Chemical characterization of milk oligosaccharides of the polar bear, Ursus maritimus. Biochim. Biophys. Acta 1475, 395-408.
  4. Bubb, W.A., Urashima, T., Kohso, K., Nakamura, T., Arai, I. and Saito, T. (1999) Occurrence of an unusual lactose sulfate in dog milk. Carbohydr. Res. 318, 123-128.
  5. Anraku, T., Fukuda, K., Saito, T., Messer, M. and Urashima, T. (2012) Chemical characterization of acidic oligosaccharides in milk of the red kangaroo (Macropus rufus). Glycoconj. J. 29, 147-156.

 

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帯広畜産大学 浦島匡先生

1980年 東京農工大学農学部卒
1986年 東北大学大学院農学研究科博士後期課程修了
同年   帯広畜産大学畜産学部助手
1994年 同助教授
2003年 同教授
現在   帯広畜産大学大学院畜産学研究科教授
1991年 シドニー大学において在外研究

主な研究 ミルクオリゴ糖の構造と進化
所属研究室 帯広畜産大学畜産衛生学研究部門乳衛生学教室

 


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